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金鶏山(きんけいざん)。 ここは金鶏山の入り口である。その脇には、下の写真で示す義経の妻子のお墓がある。 金鶏山は私有地らしい、そしてこの鳥居から奥は車やバイクの進入は禁止されている。 そんな鳥居を越えた中に軽自動車を止めて草木を見ている人がいた。軽く挨拶を交わし通り過ぎながら、もしかして土地の所有者などと考えていた。 自転車での進入は禁止していないようだが、この坂を登るのは苦行であり、また頂上に着いても走り回るほどのスペースはないので、苦行を好む人でない限りお勧めしない。 |
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↓金鶏山頂上の様子。 | |
次に、「観自在王院跡」↓に来た。正面に進むと復元した「舞鶴が池」に至る。 | |
↓舞鶴が池 | |
左は舞鶴が池、右の動画に見える2つの建物は享保の頃に再建された阿弥陀堂の拝殿と本堂(右)である。後半の墓石は二代目当主基衡(もとひら)の妻の墓らしい。 | |
毛越寺(もうつうじ)。 毛越寺は、観自在王院跡に隣接している。 |
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中央の朱色の柱を持つ建物のが本堂だ。 | |
←常光堂 ↓下記2枚の写真は、開山堂である。 |
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↑大泉が池。右側に見える石は、左から池中立石→出島石組である。 | |
大泉が池の様子を撮影した動画である。 ここ毛越寺や観自在王院跡の庭園の様式を浄土式庭園と言い、浄土(つまり、あの世)を再現しようとした庭園である。 あの世の極楽より、この世の極楽の方が実利にかなっているな等と不敬な事を考えながら、池の周りを散歩していた。 |
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達谷窟毘沙門堂(たっこくのいわや びしゃもんどう)。 ここが今日最後の目的地だ。 ここに至る道は、概ね平坦であるが近づくにつれ僅かな登り坂となっていて、既に棒と化した足に最後の止めを刺す行程となった。 平日なので、そもそも人も少ないが、自転車で来ていたのは私だけである。また、行きも帰りも他の自転車を見ることもなかった。 |
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他の世界遺産を構成する寺や跡から離れていること、自分の脚力が不明なことから、ここに来るかどうかは直前まで決めかねていたが、途中で限界に達したときは、戻ってしまえばよいと軽いノリで漕ぎ始めた。 | |
堂の窓から、正面の様子を写した。 堂内は撮影禁止である。 |
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上から三分の一の辺りに顔が見えるだろうか。 これはパンの焦げ跡がキリストに見えるとかそういった現象で顔に見えるわけではなく、岩面大佛(がんめんだいぶつ)である。 なお、このような据え付けの石仏を磨崖仏(まがいぶつ)というらしい。 |
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毘沙門堂への道は、このような感じである。 中尊寺からずっと歩道が続いているので、普段自転車に乗ることの無い人でも概ね安全にたどり着けるだろう。(歩道を自転車で走る行為の是非はひとまず置いておく事にする) 帰りの緩やかな下り坂では、自転車のスピードも乗る。 道の凹凸が増幅され、かごに入れたカバン内の携帯電話とカメラのレンズ蓋がすれて、まだ新しい携帯電話の側面がすこし削れてしまった。 この後、平泉駅に戻り自転車を返し、北上へ向かう電車を待った。 レンタル自転車を借りたのが9:45頃で、返却したのが16:20頃だった。返却時限は17時なので、丁度良い工程であった。 |
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